区の歴史資料館

地録神社

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所在地:仲畑3丁目99番地
祭    神:埴安命(はにやすのみこと)
この神社の創建時期は不詳である。祭神「埴安命 (はにやすのみこと)」は、日本神話の中で「伊邪那美命(いざなみのみこと)」が火の神「迦具土神(かぐつちのかみ)」を生んだため、お亡くなりになろうとする時に生まれられた神で、古事記には「波邇夜須毘神」(はにやすひこのかみ)とあり、日本書紀には埴安命(はにやすのみこと)とある。
土地の神といわれる埴は「和名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」に「土薫而細密曰埴(つちかおるさいみつなるをはにという)、和名波邇(わめいはに)」とあることから土のことであり安は美祢である。
この神を祀る地禄神社の地禄とは、大地から与えられる幸であり、土地を富ませるの意味であることから農耕神として崇められている。
御神体:
御神体は木造寄木造の坐像で像高42センチあり、頭には立烏帽子を冠り、着衣は錦模様に着色され、手は左手を上に、右手を下にして組み、杓をもつ姿であるが、その杓は紛失している。
多分、昭和14年の火災のときに紛れてなくなったものと推察できる。

大日如来

history3.jpg 所在地:仲畑1丁目31番地
大日如来は人間・自然・天地・宇宙の全ての本質を仏格化した、最高至上の仏さまといわれ、昼夜の別のある太陽の光よりも勝る大光明を備えているので大日如来という。
一見菩薩の姿であるが、宝冠には五座仏像がついていて、諸病平癒、安産祈願の現世利益のあらたかな仏様ともいわれる。
   

本光寺

history4.jpg 所在地:仲畑3丁目11番5号(高野山真言宗)
本 尊:十一面観世音
桧の寄木造りで像高100センチ。鎌倉時代末期から室町時代初期の作といわれる。胎内には再興の祖、指月尼が全国行脚した時の、全国各地社寺のお札数百枚がきれいに丸められて納められていたようだ。
住 職:
正平年中(1346~1369)の開基から天正年間(1573~1591)の廃寺までの住職は不明であり、宝永2年(1705)の中興は恵眼和尚であるが2~3代は不明でまた、廃寺となる。
明和2年(1765)本光庵として再興されて以降は、次の11名の尼(指月尼・恵空尼・笑月尼・鉄肝・智仙尼・恵忍尼・密厳尼・鉄道禅尼・鉄明禅尼・智栄尼・美津)がその庵を守ったが、美津以降は何人かの坊守りが法灯を守り続けていたが、昭和19年5月30日に良祥尼が没して無住となっていたので、昭和21年秋に高野山金剛講本山特派布教師権大僧正田原亮完師が入られ、曹洞宗永平寺派本光庵であったものを、高野山真言宗本光寺として再興された。
特定の檀家はないが、弘法大師への信仰を通じて、畑詰区及び近郊の人々のおまいりが多いという。
その他:
本堂前庭左側には石造地蔵菩薩五体を祀る地蔵堂があるが、この中の一体は願い事をかけた人が抱えると、願が叶う場合は抱えあげられるが、願が叶わない場合は持ち上げることが出来ないという言い伝えがある。
   

猿田彦大神

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仲畑1丁目31-44  仲畑1丁目37-27仲畑3丁目10-2

豊作祈願の猿神とも結びつけられて、豊耕神ともされた路傍の石碑の中では最も多い。
大野城市内には猿田彦は30基あると言われているがその中の3基が仲畑にはある。
また、仲畑1丁目の三叉路には猿田彦大神の横に庚申塔がある。

罔象女神罔(みつはのめがみ)

所在地:山田3丁目4
地禄神社で行われる「セナカアワセ」のおこもりは9月1日に行われ、この日に子供相撲を挙行した。
「セナカアワセ」というおこもりは水に対する感謝の祭りであるといわれている。石井手堰からの取水口に立てられている「罔(みつ)象(はの)女神(めがみ)」は潅漑用の水を司る女神である。

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