区の歴史資料館

筒井宝満神社

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祭神
玉依姫命(たまよりひめのみこと)

縁起
玉依姫は延宝3年1月(1675)中区御陵の宝満神社から勧請した。

神格
玉依姫は海神豊玉彦(わだつみとよたまひこ)の娘である。
日本神話では兄海幸彦(うみさちひこ)から借りた鈎針をなくした弟の山幸彦(やまさちひこ)はこれを探して海神の宮に行き、姉の豊玉姫(とよたまひめ)と 結婚して鵜鵝草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を生まれるが、妹玉依姫は姉に代わってその御子を養育し、後に后となって御子神日本磐余彦尊(かむや まといわれひこのみこと)(神武天皇)を生まれたとあるため育児と子供の成長祈願の神とされ、また海神の娘である玉依姫には水を支配する能力があると考え られ宝満山の頂に座して水分の神となって農耕豊作祈願の神として崇められた。

御神体
女神像一体楠の一木造り漆塗り

祭礼
4月15日(春ごもり)現在は前後の日曜日
7月15日(夏ごもり)現在は前後の日曜日
10月15日(宮座)  現在は11月初旬の日曜日

現在の本殿及び拝殿
本殿は平成 5年7月吉日 再建
拝殿は昭和62年4月吉日 再建

筒井新川運河跡

瓦田石ヶ町(現瓦田5丁目)から旧日田街道(通称太宰府往還といい現在は市道となっている)沿いに上筒井を通り下筒井秦病院前(現筒井1丁目)までの86/mに幅6m余りの「新川緑地遊歩道公園」がある。
これは江戸時代の運河の跡である。
江戸時代筑前黒田藩領の上座・下座郡(甘木朝倉地区)の年貢米を福岡の蔵屋敷に納めるに40~60Kmの距離を馬の背に振り分けにして2俵積み、馬1頭に馬方1人が2日がかりで運ぶというように運搬能率は非常に悪く人馬の苦労は著しいものがあった。
そこで寛文3年(1663)幕府の許可を受け上座・下座・夜須郡(現朝倉市・甘木市)から御笠郡(現筑紫野市・太宰府市・大野城市)を経て福岡市川端までの運河計画が行われたが距離が長く岩盤が多く土地の高低差もあり中止された。
しかし、二日市庄屋帆足甚三郎の「二日市宿庄屋覚書」によれば二日市から博多川端町までの運河は開通し、寛文3年(1663)秋から翌4年初めまでの半年間だけ年貢米の積み下しを行ったと書かれているので二日市入船町から博多冷泉町まで一応運河は開通したものと思われる。
寛延2年(1749)に再び堀川運河計画が行われ今回は二日市(現筑紫野市)から博多川端町まで川幅3間5.4m)深さ5尺(1.5m)の運河を寛延4年(1751)に完成させ同年秋から運行を開始した。
ところがこの運河筋の土質が火山灰質であるため1層ごとに泥土が流れ込み又水源となる御笠川の水量が少なく船底がつかえる所が出来るため、満足に運行できなくなり宝暦13年(1763)頃ついに運河は廃止された。
昭和55年に都市下水道工事によりこの運河跡に下水管を埋設し、「新川緑地公園」として市民の遊歩道にし、その中央部付近に記念碑やモニュメントを建て新川水路を模した水路を造って水を流している。 

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筒井の井戸

詳しくは、大野城市ホームページ「筒井の井戸」をご覧ください。

 
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