大野城市及び乙金東区の概要
◆大野城市の概要(市名の由来)
「大野城」の名称は、白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗を喫した日本が、大宰府防衛のために、天智4年(665)に大野山(今の四王寺山)に築いたわが国最古の朝鮮式山城「大野城」(おおののき)に由来しています。
以来、博多(那の津)と大宰府を結ぶ交通の要地として繁栄しました。
以来、博多(那の津)と大宰府を結ぶ交通の要地として繁栄しました。
現在の市域が一つの自治体として発足したのは、明治22年の村制の施行による大野村の誕生で、当時の人口は、3,855人でした。
その後、昭和25年に町制を施行し大野町となり、このころから人口の流入が始まりました。
この傾向は昭和30年代の後半から強まり、人口の急増が続きます。このような中で、昭和47年4月に市制を施行し、平成14年4月には市制30周年を迎えました。
◆大野城市の位置、地勢
大野城市は東経130度28分、北緯33度32分で、福岡市の南に位置しています。市域は東西約6km、 南北約8.5kmで面積は26.88km2です。
市の中心部の幅は約1kmしかなく、ひょうたん型をしています。
東北部には四王寺山や 乙金山、南部と南西部には背振山地の牛頸山を中心とする小連山があり、都市部としては貴重な緑がまだまだ残されています。
中心部は平坦で市域の50%を占め、そこでは牛頸川と御笠川が合流し、やがて博多湾へ注いでいます。
市域内には九州の交通動脈である国道3号、JR九州の鹿児島本線、西鉄天神大牟田線などが南北に貫通するとともに、九州自動車道太宰府インターチェンジ、それに接続されている福岡都市高速道路や福岡空港にも近接していることから、福岡都市圏で最も交通の便に恵まれた地域となっています。
◆大野城市乙金の地名の由来
昔、中国から日本に3つの鐘が渡ってきました。最初に来た鐘を「兄の鐘」、最後に渡って来た鐘を「弟の鐘」といったそうです。弟の鐘は、初めは四王寺山頂にあって、朝夕庶民の平安や無事を祈る響きを、ふもとの村々に流していました。しかし、このあたりを戦場とした兵乱の時に、陣鐘として持ち去られてしまいました。兵乱がおさまるとそのまま捨てられ、いまの乙金の辺りに埋められたようです。そのため、ここを弟鐘村といっていましたが、現在では誤って乙金村と書くようになったと言い伝えられています。
◆大野城市乙金東区の位置、地勢
乙金東区は大野城市の東北部に位置し、東部には乙金山や大野城(日本最古の朝鮮式山城)がある四王寺山、北部には井野山(通称ゴリラ山)があり、福岡市内に近いにもかかわらず緑の多い落ち着いた地域です。
アクセスとしては、①九州自動車太宰府インターへ7分(車で)
②JR博多駅へ25分(バスとJR利用)
③福岡空港へ20分(車で)
④福岡(天神)へ25分(バスと西鉄電車利用)
というアクセスにも恵まれた地域となっています。
◆大野城市乙金東区の誕生
平成元年4月1日に戸数660戸・人口1,777人になり、乙金東区として発足。
平成3年11月25日住居表示実施。
新住所 乙金東1丁目~4丁目
◆大野城市乙金東区の世帯数及び人口
世帯数859戸、人口1,831人(令和2年2月29日現在)