栄町の歴史
栄町50年のあゆみ
平成17年8月 大野城市 栄町区
栄町の発足
栄町は 古くは大字雑餉隈小字名を松山、スルガ、ヒジキ、経塚と呼ばれ、当時は松山と雑木林と沼地と僅かな畑地があるだけで、人家はありませんでしたが、大正13年に九州鉄道電車(現西鉄電車大牟田(天神)線)が開通し雑餉隈に春日原駅が設置された。その後、商店と人口も増え始め小字名が春日原となり、また、昭和21年福岡県により第2回土地区画整理事業が実施され、道路整備と相まって住宅地として発展、昭和29年6月に大字雑餉隈は世帯数379戸、人口1,474人と、大野町(現大野城市)では、白木原、瓦田に次いで3番目に多い人口を抱える町になりました。
昭和30年1月1日付で、西鉄大牟田線以西の区域を雑餉隈から分離することを雑餉隈代表者(部落長)と栄町代表者福井義敬氏の連名で大野町長宛に提出、昭和30年1月27日に町長の認可がなされ、昭和30年4月1日に栄町が発足しました。初代部落長(現称区長)には末岡仕氏が決まりました。
(参考)
現大野城市栄町2丁目5番14号は、昭和23年当時、筑紫郡大野村雑餉隈字春日原45番地ノ1と称されていました。
町名の選定
昭和30年、雑餉隈から分離独立し、新しい単一の区として発足するにあたり、新町名選出のため、福井義敬氏、末岡仕氏を代表世話人として検討を重ね、当初は新しい町名は松山であった昔の姿を偲んで「松が枝町」とする予定であったが、雑餉隈から分離しての希望の門出を祝い、将来の繁栄を願っての住民の希望により「栄町」となりました。
栄町の地勢
(1) 位置
大野城市の最西端で、西鉄大牟田線以西から、県道筑紫通りの間に位置し、南および南西面は春日市春日原地区と、北および北西面は福岡市博多区に接し、区域内は概ね平坦で、一部が商業地域であるほか、大部分が住居地域である。
(2) 東西約260m、南北約420mと南北に長く、その面積は約6.26ヘクタール。
住居表示の施工
栄町の住居表示は、昭和57年11月に施工されました。従来、住所の表示は地番によったものを、「住居表示に関する法律」により、日常生活を便利にするため施工されたものです。
旧 ○丁目○○番地または○丁目○○番地ノ○
新 ○丁目○○番○○号
(街区符号) (住居番号)
栄町の人口及び世帯数
以下のPDFをダウンロードしてご覧いただけます。
・栄町の人口及び世帯数の推移
公民館の建設
(1) 旧公民館の建設
雑餉隈から分区して以来集会の場所がなく、個人の家の一室を無償で提供していただき仮公民館としていたが、町活動の拠点となるべき公民館建設を計画、町独自の資金計画により、3丁目4番地(現3丁目1番10号)の敷地を購入、建築資材は県立筑紫女学校(現県立筑紫中央高校)の移転に伴う解体資材をもって、昭和32年に建設され、以後新公民館建設まで使用された。旧公民館跡地は、現在は市民農園として利用されている。
(2) 新公民館の建設
人口の増加で旧公民館の建物が狭隘になり、また古材で20年を経過して老朽化したことなどから、運輸省に係る空港周辺航空防音対策補助事業により、栄町区学習等共同利用施設(現栄町公民館)として建設、区の運営、公民館活動の拠点として使用することとなる。
完 成 | 昭和52年3月21日 |
構 造 | 鉄筋2階建て 陸屋根 |
総面積 | 324平方メートル 建設面積基準は、区の世帯数により 1,000世帯以上 延べ面積 500平方メートル 1,000世帯以下 延べ面積 310平方メートル |
隣組改編推移
昭和30年 | 4月 | 雑餉隈より独立。隣組単位をそのまま引き継ぐ。 |
昭和40年 | 4月 | 第1回の改編。 |
昭和45年 | 12月 | 第2回の改編。 アパート等を単独の組となす。 |
昭和59年 | 4月 | 第3回の改編。 住居表示の完了に伴い、街区を基本として、隣組を区画改編。 改編時 25組 平成17年3月31日現在 23組 |
生活、環境推移
昭和40年 | 4月 | 上水道が布設され、牛頸ダムより給水が開始される。 消防用消火栓9基併設される。 |
昭和48年 | 3月 | 栄町公園が整備され、遊具等が設置される。 名称 栄町公園 種別 児童公園 面積 660平方メートル |
昭和50年 | 5月 | 都市ガスが布設され、ガス供給が開始される。 |
昭和55年 | 下水道が完了、供用開始され、水洗化される。 | |
昭和58年 | 3月 | 昭和56年度、昭和57年度継続事業により幹線雨水排水路完成。 大雨の都度浸水に悩まされてきた住民の不安が解消される。 構造規模 道路埋設 上流部 2m×1.5m 下流部 2m×1.8m 春日原地区より当区を経て福岡市へ。当区間360m。 |
昭和61年 | 2月 | 老人憩いの家完成。栄町公民館に併設される。1階図書室を2階 バルコニーに移設、その後を憩いの家として改築。 構造規模 玄関付和室2間(6畳2間) 昭和61年3月16日落成式。 |
昭和61年 | 11月 | 環境整備事業として公民館前に花壇設置。 |
昭和62年 | 11月 | ふれあい農園の開設 旧公民館跡地(市有財産) 296平方メートル |
昭和63年 | 4月 | 従来からの大野小学校より大野北小学校へと通学校の変更。 |
平成 3年 | 5月 | 環境整備事業として公民館の南側に花壇設置。 |
思い出の写真は、以下のPDFをダウンロードしてご覧いただけます。